お久しぶりです。


インフルエンザ(すでにほぼ治癒)による暇のため三年ぶりにブログを更新します。
見てる人なんているのかな?

連絡先がわからない人、連絡先はわかるんだけどなんとなく連絡とりづらい人、連絡取り合っているんだけど徐々に疎遠になってしまっている人、でも縁が切れてしまうのは悲しい、そんな人たちがいつか読んでくれたらと思い(もちろん、今も親しい人たちも)、自分の近況などを記していこうと思います。

自転車旅行を終えてからのことを、ざっと書きます。

帰ってきてから、色々あって復学しました。
研究室の人たちは自分を受け入れてくれた上に、マダガスカルで焼き畑農業の研究をするチャンスをくれました。2008年11月からマダガスカルへ移住。
マダガスカルでの経験はどれも素晴らしいもので、今も思い返して一人クスリと笑ったりしています。
だけど、今までの人生、周りへの迷惑も顧みずちゃらんぽらんに生きてきたのに、あまりに上手く行き過ぎていた感もあり、ツケが回ってきました。
2009年2月末に熱帯熱マラリアに罹患して死に掛けて、緊急入院、帰国、再入院、出国禁止令、などとゴタゴタしました。
4月の終わりくらいには体調は大体落ち着いたのですが、そこからは、考えがまとまらない状態で就職活動をはじめ、一方では毎日、本当に毎日学校辞めようか悩みながら実験をしていました。
当然、そんな状態で上手くいくわけもなく、内定は取れず、実験は捗らず、もう仕方ないので漫画を読む、夜中に吠える、総合ジムに通ってボコボコにされる、そんな日々でした。
もう、就職も卒業もどちらも諦めていたのですが、研究室ではなぜか糞忙しいはずなのに僕の実験を毎日手伝ったり励ましてくれる人がいたり、厄介払い(笑)しようと皆に助けられ、ナンとかカンとか卒業できました。あの精神状態で本当によく卒業できたもんだと今でも思います。
しかし、問題はその後の進路が未定、ということでした。実家に帰るのもめんどくさい(というか強い兄でありたかったので格好悪くて)ので、聴講生になって学生寮に居残るつもりでしたが、入学金を払い忘れて学籍も失いました。

やむを得ず、実家に帰りました。
まだ公務員試験が終わるまでは勉強しているフリでどうにかなっていたのですが、それも落ちると。。。
「なぜ、この俺が職を見つけられない?マラリアで出遅れた?就職氷河期?だって、少なくとも人類の上位0.3%には入るこの俺だよ、そんなの関係あるわけないじゃん!間違っているのは向こうだ、無理にあわせる必要なぞない。いずれ奴等が頭を下げて俺のところへ来る」
という思いと
「ああ、やっぱりな、なんとなくだけど、こうなるんじゃないかと思ってたよ。やっぱりなんか欠けてるんだ、きっと。面接官って見る目あるんだなぁ」
という思いが交錯しつつ、故あって原付免許を取り、一ヶ月ちょいで2000kmほど走り、三回こけたりしていたら、奇跡的に(親には、「この会社落ちたら、ごめんけど、もう勘弁して下さい。大学院まで出させてもらっておいて本当に申し訳ないんだけど、社会が僕を求めていないのです。」と申し入れていました。)内定が出ました。
そんな訳で、半年超に及ぶNEET生活に別れを告げ、リーマンハルキとして新生しました。
新大阪にいます。お金を稼ぐというのはやっぱりいいことだと思います。日々の悩みも30%減といった感じです。近くの方、お立ち寄りの方、よろしくお願いします。

この三年間(在マダガスカル期間除く全て)は、中学卒業以来初めてGDP成長率がマイナスになった低迷期で、どちらかというと情動の少なく、悪い意味で安定してしまっている僕が、来る日も来る日も「分身の術を使って、自分で自分の顔面を思いっきりぶん殴ったらスゲー気持ち良いんだろうなぁ」と夢想するくらい乱れていました。だけど、まぁ、今となっては何をそんなに長い間思い詰めていたのか良くは思い出せません。
環境がちょっと変わったくらいでこれだから、人間がお気楽にできていて本当に助かります。

写真の男の子は1歳くらいなんだけど、リクエストするといつも変な顔してくれて人気者でした。

文章を書き終えて、この三年間の写真見てたら結構ご機嫌に過ごしていたことが判明しました。まぁ、写真撮るときなんて余裕あるときだけだろうけど、別にいつも沈んでいたわけじゃないんだということを思い出せました。


最後になりましたが、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
身勝手ですが、これからの一年間が、少なくとも自分が知っている人たちにとっては良い年となることを切に願っています。

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