カシュガル!!!中華うますぎ!!!








この数日間、今までの人生で一番がんばりました、



まあ、今までががんばらなさ過ぎ、というだけの話ですが。





ということで、少々長々と書きます。





11月5日、前日の夜に37.2度出ていたのでやや不安でしたが、キルギスソムがつきそうだったし、何とか36.7度まで下がったので、オシュという都市を出ました。


写真1は途中力尽きていたときに羊の臓物入りピラフ(思ったほどはまずくなかった)をご馳走してくれたかたの娘さんがたです。


11月6日、午前中は調子よかったのですが、昼過ぎから、風邪がぶり返した上に、魔法瓶が振動で割れました。割れないようにわざわざ寝袋の上においといたのに、おかげで寝袋まで濡れる始末。ついでにライターも振動でばらばらに。。。


舗装路と聞いていたのですが、舗装されていたのは2割ほどで、残りはカンボジア並みの悪路でした。まあ、その後に比べればずっとましでしたが。


そんなわけで、途方にくれていたところ、牛飼い兼商店主のティムール(多分10歳くらい)に声をかけられ、一晩お世話になることに。写真3の僕に甘えてる子です。


家族構成は。。。


父。彼の仕事は、酒を飲む、挙句に昏睡する、ゲロ吐く、ティムールに酒を要求すること、と完璧なクズ。


ティムール。彼の仕事は、ほかの4人のすべての世話と、商店経営、牛二頭の世話。


妹、バイエルグ。兄の手伝い。


チビすけ二人。とても素直で、兄の言いつけをよく守るけど、ちびすけ2号(ピンクの帽子の方)は棒状のものをもつと発狂する。ティムールの話によると銃を持つともっとやばいらしい。

4時ごろからお世話になったのですが、そのときすでに父は昏睡しており、奴を起こさないようにと、押入れで変われる犬のように扱われました。


手製のバターとヨーグルトなどを出してくれました。オシュ(120kmしか離れていない)でかったチョコクリームを上げると、舶来品のように大事そうに、かつすごい勢いで500gくらい速攻で食われました。


チビすけ二人は表情を全く変えない(全体の雰囲気で楽しんでいるのか、放心しているのか退屈なのかはわかりますが)のですが、たかいたかい をしてあげると、初めて表情変わりました。っていうか、狂喜してもっともっとと要求してくるのですが、そのとき本当にグロッキーだったので、10kgの物体を2mまであげるというのは半端ない重労働でした。





7日、父のゲロ音で目覚めました。
朝から酒くれ酒くれと騒ぎ出して大変でした。ティムールは父に怒声でしか話しかけません。
ティムールの商店に酒はあるのですが、面白いことに、店の鍵も店の金も全部ティムールが取り扱っているため、「飲みたいなら酒代を払え」と父に要求していました。
その父に「酒奢ってくれ」とかなりしつこくねだられました。当然断りましたが。
話はそれるのですが、ほかの国では酒飲んでいる人は旅人を見かけるといろいろ奢ってくれます。でもキルギスの酒飲みは奢ってくれ、と突然声かけてきます。

こんなこと考えちゃいけないんだろうけど、あのクズがくたばったらティムールたちも少しは楽になるのかなぁ、とか思わずにはいられませんでした。
だけど、夜寝るとき、ティムールは僕の手握って放さなかったんです。あんなクズでも、死んじゃったら、甘える相手が完全にいなくなっちゃうのかなぁ。

そのあと、乳搾り体験(写真4)とかまでさせてもらいました。
写真5はお別れのときのです。
断っておきますが、ロリコンではありません。多分。そのはずです。

ティムールたちのおかげで風邪もほぼ完治したので昼ごろ出発しました。

Comments

Unknown said…
おお、無事か。よかったよかった。
峠越えたんだよね。この季節こっちでもけっこう寒いのにすごいなぁ。

ティムール君えらいね。
自分の10歳のときとか思い出すとぜんぜん違う。将来は父親のようにはならないでほしいもんだ。

前の話にもどるけど、フィールドワークとかいいんじゃない。他の人が真似できないことをやるのってけっこう大事だと思う。その点で霊長類学とか人類学もおもしろそう。しかし、ハルキの就職って想像もつかないな(笑)

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