まだマシュハドという街にいます
本当は昨日出発するはずだったのですが、風邪(インフルエンザ?)にかかってしまっていました。今は平熱に戻って元気です。 昨日は朦朧とする頭でトルクメニスタン領事館に行き、無事にビザは発給されたのですが、滞在期限は10月9日なのであまりゆっくりはしていられません。ついでにウズベキスタンは11月1日までだし降雪前にはイルケシュタム峠(3500m、キルギス中国国境)を越えたいので結構先は詰まっています。 まあでも、沙漠突入前だったので助かりました。 本当は真夏の沙漠で蜃気楼に翻弄されてカラカラに干乾びたりしてみたかったのですが、夏はついに過ぎ去ってしまいました。 写真1,2,3,4は自分をご家庭に招待してくれた方たちです。ラマザーン(断食月)中に計五つのお宅にお邪魔しました。五つとも、ひとつの家庭の中に断食ちゃんとしてる人としてない人がいたのにはびっくりしました。みんな割りとおおらかです。写真4のお宅ではドイツのソーセージをいただきました。豚肉の味がした気がするのですが…? おまけにイランでは2回ほど酒の誘いを受けました。あまりアングラなとこに行きたくなかったので断りましたが。でも写真2のお宅ではウィスキーボンボンをいただきました。違法ではあるけど、割と簡単に酒は手に入るし、みんなあんまり気にしていないようです。 トルコではよく「アメリカのクソッタレ!」という話を聞かされましたが、イランではほとんど聞きません。「アメリカはイランを悪者扱いしているけど、ほかの国の人たちは実際のとこ、イランのことをどう思っているの?」とはよく聞かれますが。若者はアメリカ文化好きなようです。 自分が通ったところだけかもしれませんが、イラン人はファナティックじゃないし、トルコ人よりもずっと抽象的な思考ができているようにおもいます。 日本に出稼ぎに来てたイラン人って言うと偽造テレカというイメージをもたれてる方は多いと思うのですが、自分のであった方たちはまじめに働かれてた人ばかりです。そういう人たちは、日本に本当にいい思いでたくさんあるんだ、とかたってくれます。まだ日本の友達と文通してる人とか、イランに帰るときにもらった寄せ書きを今でも大事に持ち歩いてる人もいました。 よく間違われる人種は中国人、韓国人(無数)、イタリア人(20回くらい)、アフガニスタン人(5回くらい)、トルクメニスタン人(5回くらい...