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Showing posts from 2007

カヨクカンにいます。今日は寒くて寒くて、街なかでも目出し帽でした。

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白 岩先生、済みませんでした。今気付きました。 連絡ありがとうございました。僕の居場所って残ってそうですか? 先日、イスタンブールで達人からいただいた木刀を紛失しました。 やむを得ず人目につく場所でテントを張った夜、野犬の遠吠えがうるさい夜は抱いて寝ました。 犬を幾度も追払いました。おかげで今はドーベルマン二頭に追われても、ちっうっせーな、というくらいの心の余裕ができました。 山賊地帯を走った時は精神的に大分支えられました。 荷物が重すぎてスタンドが支えない時は自転車を支えてくれました。 考えてみれば、安全圏に入り、軽量化した今、彼の役目は終わったわけですが、やっぱり悲しいもんです。 ついでに、カシュガルで2700円で購入したゴア手袋もなくしました。 こうして大事なものをなくすたびに、もとから重しがないとどっか飛んでっちゃいそうなほど軽い僕の魂はますます軽くなっていきます。 一昨日、吹雪の中を走りました。追い風だったので。不思議なものを見ました。 細かい粉雪ばかり降るのですが、地面にそれが全然根づかないんです。 で、そいつが風に吹かれて飛んでくわけですが、路面をなめるように這って流れていきます。 その姿がまるでトカゲのオバケのようで、追い風なので一緒に進んでいくわけです。 すごい時には何千というオバケトカゲと一緒に走るのですが、そうしていると、自分も外から見たらこいつらとおんなじなのかも、本当はとっくにどっかで野垂れ死んでて走ってる気になってるだけでただ風に吹かれてるのかな、とか仕様のない思いにとらわれたりします。 写真は3になってるつもりです。この道路は上海まで続いています。 たったのあと3333km。。。 地球1/12周と言い換えるとちょっとすごそう。 日本との時差はあと1時間です。 道道お世話になった人たちを思い出しては、今あの国は何時だからきっとあれしてるかな、とか、寝坊して12時起きという日には、ポルトガルは今4時だから超早起きじゃん(あっこれ日本でも言い訳に使おう!)!とか思うと不思議な気分になります。 今日、万里の長城の西端に行ってきました。つまり、ここからが(昔からの)中華世界ってことですかね?

ハミにいます。ハミ瓜が見つかりません。

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中国の観光名所というのは酷いのが多いような気がします。 火焔山という西遊記に出てくる山に行ったのですが、その辺にいくらでもあるただの山でした。これでうん百元(1元は16円位らしいです)もとろうというのはどうかと思うのですが、自分の目の前で数十人の中国人観光客が中に入っていきました。うーん… 沙漠に雪が降るというのにも驚いたのですが、雪原で駱駝に会えるとは思いませんでした。でもよく見ると駱駝って、もじゃもじゃしてて、でかくて鈍重で、なかなか雪景色に似合います。 一度宿の味を覚えてしまったので、この寒空の下で テントを張るのはもう無理です。キルギスでは-10~-15度くらいでもキャンプしたのですが、精神的にだらけてしまいました。なので、テント寝袋を今日日本に送り返しました。荷物が半分に!やったー! 長かった新疆ウイグル自治区もそろそろ終わりです。次は甘粛省。クリスマスや年末年始はどの辺にいるんだろ。

トルファンにいます。夏は中国一暑い所らしいけど…

実はビザが8日に切れてしまったのですが、罰金覚悟で公安に出向いたところ、一言の説教もなしにビザ延長をしてくれました。どうやらビザって結構適当なものらしいです。 12月も中旬に入りました。日本は今頃街を歩けばクリスマスソングがガンガンにかかってるんだろうなぁ、とか思うとなんかとても淋しくなります。自分はクリスマスが大嫌いなんだと20歳くらいまで思い込んでいたので、いい思い出というものはあんまりないし、クダラネェ、とも感じるけど、あの何処行っても自分だけお祭りからはみ出ちゃってる感覚を懐かしく思い出したりします。そんなわけで、太郎の替歌クリスマスソングを歌いながらチャリをこいだりしています。 先日、走っていると、ちらちらと雪が降ってきました。沙漠に雪が降るとは思っても見なかったので驚きました。 ここ1週間くらい、最高気温は常に零下です。寒いです。冬の沙漠で野宿をすると、心が荒みます。なので、最近は毎日宿にとまっています。たいてい1泊10元(160円くらい)です。他の国ではちょっと考えられないくらいのぼろさだったりしますが、どの宿も壁と天井と布団とお湯と暖房(猫がいるとこも多い)があるので、自分には十分すぎるくらいです。 自分は東へ東へと進んでいるので、彼岸を過ぎた今、恐ろしいほどのスピードで日没が早くなっています。毎日7、8分は早まっている気が…もちろん日の出も2,3分ずつ早まっているわけですが、毎日行動開始時刻を2,3分ずつ早める、というのは自分には不可能なので、行動可能な時間は日に日に短くなっていきます。いまや2時過ぎには夕方のような気配です 中国について少し書きます。 中国には見知らぬ人に挨拶する習慣はあまりないようです。今までは避けようと思っても地元民とのコミュニケーションがあったのですが、中国では、ジロジロト見てくる人にこちらからニーハオ!と言っても十中八九シカトされます。 中国のテレビでは良く日本軍が悪役として登場します。食堂などで、我是日本人とか言ってるときに日本軍が悪行の限りを尽くしてたりすると焦りますが、みんなあまり気にしていない様子です。ここが西部だからでしょうか? 世界三大料理とは、中華、日本、韓国だと思います。まあ、自分が東アジアの味に親しんで育ったためというのは大きいのですが、料理のレパートリーの多さや、調味料の多彩さ、など群を抜いていると思い

クチャ 地球3分の1周突破

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写真1はカシュガルのウイグル人の少女。超かわいかった。けど、カメラ壊されそうでとても怖い思いをさせられました。 写真2はカシュガルの宿でなんと日本人チャリダー4人が集合した写真です。 写真3のような光景が延々と何日も何日も続きます。一言で言って、あきました。 中華はとてもうまいのですが、ここはウイグル自治区なので、ウイグル料理しかない、という場面もよくあります。ウイグルのラグ面(トルキスタンのうどんのようなもの)は中央アジアのラグ面の30倍はうまいのですが、中華には敵わないし、何より、所詮羊は羊、という感じです。アー新疆さっさと出たいけど、新疆でかすぎる… 写真4は進行した虫歯です。米粒が4つほど収納できます。半端なくいたいっす。 キョウ、ハイシャイッタヨ。マスイナシデケズラレタネ。ボク、トビアガッタヨ。 ケズッタダケデ、キョウハセメントナイカラアスマタコイッテイワレテ50ゲントラレタヨ。 ボクノクニ、セマイケドイイハイシャタクサンイルネ。 クニニカエリタイヨ…

まだカシュガル 

タクラマカン沙漠は南回りで抜けることにしました。 北コースのほうが観光地たくさん通れるみたいですが、南コースのほうが沙漠に長くいられるらしいので。 自転車は直りました。 明日、日本のテレビがカシュガルに来て生放送をするらしいです。 映りにいっちゃおうかなぁ!という気もするし、こんな遠い異国の地に来て日本に恥を伝えるというのもどうなんだろう?という気もします。 日本時間12時から放映開始らしいです。 気分次第では映りにいきます。ド暇でかつ、テレビの後ろでピースしてるみっともない僕を見たい方は。 関口弘という人の息子さんが出演するらしいです。 今まで、ユーラシア横断というのを大目標として掲げていました。 なんというか、「根性なしのお前でも、こんなことができるんだ」ということを自分に証明したくてやっていた面がありました。 だけど、そのことにこだわりすぎるあまり、楽しみや冒険のチャンスを逃すことが多かったように思えてきました。 中国のビザが手違いで1ヶ月(最大2ヶ月延長可)しか取れなかったため、結構急がなくてはならなくなりました。でも、できればもう少しゆっくりとこいで、いろんなものに触れてみたいとかも思ったりするわけです。 ユーラシア横断の(おそらく)最大の難所も越え、俺はやれるんだ、ということを自分なりに確認できた気がします。 「できた」と「できるはず」の間には大きな隔たりがあるし、将来自慢しようとするときに「横断できそうだった」ではしまりませんが、そもそも冒険をしたくて出たのに、横断のために冒険しないというのでは本末転倒なきがするので、横断を勿論めざしはしますが、優先順位を改める必要があるようです。 コメントを書いてくれている方へ すみません、なぜかカシュガルのネットカフェからはコメントを読めません。5軒試したのですが、だめでした。次の町から読ませていただきます。 ちょっと、だらけてしまって出発がいつになるかわかりませんが。
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そんなわけで、7日からです。 この1ヶ月ずっと続いていた絶不調からも、なぜか開放され、道は悪いけど、眺めもよかったし、なかなかよい気分でした。 キルギスの山村の人々はやたらと写真を撮れと要求してきます。写真1 金も店もほとんどなかったので、水の入手は難しいかと思ったのですが、前半は川沿いだったし、中盤は雪の中だったので割りと簡単でした。 ただ、最初は沸かすかイソジンで消毒してから飲むようにしていたのですが、沸かすのめんどいし、イソジン入れるとまずくなるので途中から全部そのまんま飲んでました。挙句の果てにはペットボトルに詰めてからまる一日放置したのまで飲む始末・・・ 今回は幸いなんともありませんでしたが、このめんどくさがりはいつか大失敗を招きそう。 7日の夜は初めて3000mで寝ました。朝起きたら隣の小川が凍っててちょっとビックリ。あたりまえですが。写真2 8日はタルドゥック峠(3630m)を上りました。写真3 標高2500mくらいまでは平地と大して変わらないのですが、それ以降はやっぱり鼓動がやばいくらいに高鳴ります。 おまけにひどい悪路で、写真3のように冬装備で積載量も増えている(後ろキャリアの上に載ってるボストンバックはきるぎすでこうにゅうしました。)ため、こいでもこいでも後輪がじゃりじゃりゆうだけでなかなか進まなくて、のぼりでは平均4km/h以下でした。 おまけに、振動がひどくて悪化した首のせいか、風邪か、酸欠かあるいは全部かのせいでこの日から頭痛がしばらく抜けなかったりしました。 でも、上ってる間は意外と楽しかったかも。寒くないし、目に見えるものと戦っているというのはなかなかいい気分です。 その後なのですが、じぜんに3000m台の高原が続くという情報を入手していたので、2900-3100mの平地が続くんだと思っていたら、3100-3500mのむげんにつらなるUPDOWNで参りました。 写真4は3485m地点での野営地です。割と何とかなりました。この装備でも我慢すれば4000mくらいまではいけるかも。3年前の11月瀬戸内海に浮かぶ小島で(標高50mくらい)野宿して風邪引いた男とは思えない進歩!実際に気温が何度だったのか知りたかったけど、温度計付の腕時計をクロアチアで紛失してしまったため・・・ 9日、さすがにダートにはあきました。もう二度とダートなんか見たくないっ

カシュガル!!!中華うますぎ!!!

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この数日間、今までの人生で一番がんばりました、 まあ、今までががんばらなさ過ぎ、というだけの話ですが。 ということで、少々長々と書きます。 11月5日、前日の夜に37.2度出ていたのでやや不安でしたが、キルギスソムがつきそうだったし、何とか36.7度まで下がったので、オシュという都市を出ました。 写真1は途中力尽きていたときに羊の臓物入りピラフ(思ったほどはまずくなかった)をご馳走してくれたかたの娘さんがたです。 11月6日、午前中は調子よかったのですが、昼過ぎから、風邪がぶり返した上に、魔法瓶が振動で割れました。割れないようにわざわざ寝袋の上においといたのに、おかげで寝袋まで濡れる始末。ついでにライターも振動でばらばらに。。。 舗装路と聞いていたのですが、舗装されていたのは2割ほどで、残りはカンボジア並みの悪路でした。まあ、その後に比べればずっとましでしたが。 そんなわけで、途方にくれていたところ、牛飼い兼商店主のティムール(多分10歳くらい)に声をかけられ、一晩お世話になることに。写真3の僕に甘えてる子です。 家族構成は。。。 父。彼の仕事は、酒を飲む、挙句に昏睡する、ゲロ吐く、ティムールに酒を要求すること、と完璧なクズ。 ティムール。彼の仕事は、ほかの4人のすべての世話と、商店経営、牛二頭の世話。 妹、バイエルグ。兄の手伝い。 チビすけ二人。とても素直で、兄の言いつけをよく守るけど、ちびすけ2号(ピンクの帽子の方)は棒状のものをもつと発狂する。ティムールの話によると銃を持つともっとやばいらしい。 4時ごろからお世話になったのですが、そのときすでに父は昏睡しており、奴を起こさないようにと、押入れで変われる犬のように扱われました。 手製のバターとヨーグルトなどを出してくれました。オシュ(120kmしか離れていない)でかったチョコクリームを上げると、舶来品のように大事そうに、かつすごい勢いで500gくらい速攻で食われました。 チビすけ二人は表情を全く変えない(全体の雰囲気で楽しんでいるのか、放心しているのか退屈なのかはわかりますが)のですが、たかいたかい をしてあげると、初めて表情変わりました。っていうか、狂喜してもっともっとと要求してくるのですが、そのとき本当にグロッキーだったので、10kgの物体を2mまであげるというのは半端ない重労働でした。 7日、父のゲロ音で

これからのしんろ

たぶん、あすかあさってからいるけしゅたむとうげにむかいます。 ここ(950m)から、まずは2500mをこえて、さがって、3600mをこえます。ここまではいちおうはほそうろらしいです。 このあと3000mのこうげんがつづいて3500mのいるけしゅたむとうげです。このあいだ、かんぜんなみほそうろらしいです。 はんたいからきたばっくぱっかーのはなしだと、とらっくでとおるのもつらいらしいです。 すいかだいのいしがごろごろしてる、とか、1かげつまえからすでにゆきがふっていた、とか。 まあ、なんせすごいみちらしいです [こういうのまってたんだよ!]というきもち6わり、[やべーなー、どーしよっかなー]というきもち4わりといったところでしょうか。 ねぶくろとじゃんばーともこもこしたくつをこうにゅうしました。 いけるとこまでこれでいこうとおもいます。でも、ひどいときはー25どまでさがるらしいので、むりそうだったらみんかのおせわになります。 とらっくをひっちすることもできるので、まあ、しぬことはありません。 そのごのしんろ かしゅがるからさき、たくらまかんさばくをきたからまわってぬけるか、みなみからまわってぬけるかですが、まあ、どのみちとんこうにいくつもりなのでたいさはないのですが。 かしゅがるからちべっとにむかう、というのもおもしろそうでこころひかれるものがありますが、このじきのちべっとをいまのそうびではしょうしょうきびしそうなのでざんねんながらこんかいはぱすします。 らいねんから。。。 しぼうじゅんにならべると。。 1。あらすかたんけん(はくじょうすると、100%いまよんでいる[たびをするき]というほんのえいきょうです)2。 らおすかたいかまだがすかるののうぎょうのふぃーるどわーくにけんきゅうてーまをかえてもらう(けんきゅうしたいてーまがあるのではなく、たんにいちどふぃーるどわーくというものをしてみたいというだけですが。) 3。ぱみーるこうげん、ちべっと、とうなんあじあちゃりりょこう 4。しゅうしょくかつどう(はたらいてみたいというきもちもあるんです。いちおう。) 5。れいちょうるいがく、もしくはこうこがくにてんこう。(えー、これも[じんるいしのなかのていじゅうかくめい]というほんのえいきょうです。いらんでであった、きょうだいでこうこがくとか、とるこごとかやっているかたにいただきま

キルギスに入りました。12000km

通信速度が遅すぎて、自分の精神力では写真は乗せられませんでした。 サマルカンド、いい街でした。母が若き日に夢見ていた場所でもあるらしく、サマルカンド、という響きだけでなんだか随分遠いところに来てしまったんだなあ、となかなか感慨深いものがありました。タシケントで、中国ビザを取りました。3ヶ月ビザをくれ、と頼んだところ、[あなたにだけとくべつよ]とやさしい窓口の女性にいわれたのですが、もらえたのは入国日の期限が3ヶ月後の30日ビザでした。大使館のさく越しに1時間粘ったのですが、変更はしてもらえませんでした。。。はなしがちがうじゃん! 80どるもだしたのに。。。 旅行中に感じた言葉の話。 皆さんよくご存じのように、自分の英語はちょっとひどいです。 今まで、結構そのことを恥じていたのですが、最近あまり気にしなくなりました。 どの道、相手の英語力が律速になる、というか英語なんて離せない人の方が圧倒的多数だし。相手が努力してくれれば、時間はかかるけど何とか英語で言いたいことはだいたい伝わるし。 でも、最大の理由は、英語できる人ほど現地語ができないからです。れいがいはもちろんいますがほんとうにすこしです。 自分より現地後できる人にはめったに会いません。まあ、つまり自分より英語できない人にもめったに会わない、ということでもありますが。。。 英語できる人の[お前が英語話せよ]という相手を馬鹿にした態度(ほんにんたちはきづいてませんが) がどうしても好きになれません。 ところで、中央アジアではいろんな言葉が話されています。ウズベク語、キルギス語、カザフ語、トルクメン語はトルコ語に似ています。タジク語はペルシア語に似ています。自分はトルコとイランに1ヶ月半づついたので、片言のトルコごとペルシア語ができるので、その国ごとの違いをその場でちょっとづつ修正しながらやって来ました。でも東からくる旅行者はロシア語でやっています。比較すると、ロシア後の方が有利です。 としぶではろしあごのほうがゆうせいだし、いなかいってもろしあごできるひとはかならずいます。トルコ語は確かに似てるけど、同じではないし、何よりも、まともな中央アジア諸国語のテキストがないからです。なのでがくしゅういよくがわいてきません。 ロシア後のテキストはいいのがいらんやトルコにたくさんありました。でももうおそい。。。だけど、片言のトル

Tommorow, I will depart here, maybe...

at 9th oct, I met japanese cyclist. his chari koida kyori is not so long, but he is the greatest cyclist in my shiriai. last night I met another japanese cyclist. there are many japanese cyclist in central asia. so I'm anshin, but chotto kuyashii. He is kyoto university student, onaidoshi, and not charibu. He has cycled from Tenshin, so we could give information and books each other. I gave him "Cicago sodachi"(chotto oshii...). He gave me "tabininaru ki". It seems very interesting. Depend on his information, in central asia It's hard to find net-cafe that can read japanese... Today, I bought Ra-men!! cho umasaou! I cannot wait to cook this!
先日は大変な心配をおかけしました。太郎から話を聞いたり、コメントをみて自分に、そんなに心配してくれる友達がいたんだ、と正直驚きました。ありがとうございました。 自分は、死ぬことに対する恐怖が人一倍強いので危険地帯は今後も避けていくつもりなので、あまり心配しないでください。

写真の続きです

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>亀川さん自分はパキスタンからのクンジュラブ峠ではなく、それよりかは1000mほど低いイルケシュタム峠を通ります。だから何とか。。。反対からきたチャリダーに何人か会ったのですが、外国人のチャリは特に問題ないようでした。 写真1 トルクメニスタンの女性。笑顔がかわいかったのとらせてもらいました。 写真2はブドウ売りの少年たちです。お金受け取ってくれなかったんですけど、路上でのど渇いてる人には無料、ってやってたら商売成り立つのかなぁ 写真3は自分の1月半の禁酒を力づくで破ってくれた方たちです。ウォッカを飲まされた後の30kmはしんどかったです。でもむちゃくちゃうまかった。。。ところで、中央アジアもイスラムなのでラマザンがあるのですが(昨日終わりました)、この人たち、ラマザンがどうのこうのとはなしながら、余裕で酒も豚肉もやってました。で、時間が来るとお祈りしてました。みんなどこまで本気で信じているんでしょうか?写真4は一緒にサッカーした少年たちです。そのときは体力がヘロへろだったので子供の動きにすらなかなかついていけませんでした。写真5はブハラっぽい風景を撮ってみたつもりですが、やっぱり、写真へたくそだなー。どうやったらこういうのきれいに取れるんですかね? そんなこんなで、明後日には次に向かいます。次は青の都サマルカンドです。

トルクメニスタンの写真です

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写真1は水がつきそうになっていたところで助けてくれた羊飼いの方々です。初めて麻薬を見ました。自分はやりませんでした。もちろん。 写真2は泊めてくれたレストランの方々です。左の人が、ジムの会長に似ていて、恐縮しまくってしまいました。 写真3は世界最西端の仏教寺跡です。時間ない中で27kmも寄り道したっていうのにこのしょぼさ。。。 写真4は旅行者ノートがある世界一辺鄙なカフェです。 写真5は今年の4月20日にポルトガルで購入して以来半年間苦楽をともにした、塩入れです。ガムテで補修したりして使ってたんですけど、ついに。。。 トルクメニスタンという国は360度の地平線が続くのですが、走っていると不安になります。砂漠のど真ん中のY字路で看板がなかったときはなきそうでした。 皆様、コメントありがとうございますぜんぜん返事書いていませんが、ちゃんと読んでいます。 司、久しぶり!2年ぶりくらい?金歯にはしません、あれはちょっと品がないので歯抜けでとおします。まだ取れてません。今岡さんさえよければ、今度ペルシア美人のアドレスをお教えいたします。亀川さん、始めまして。いろいろと太郎から伺っています。今度、話聞かせてください。サワのいうとおり、今は寒さが最大のネックになっているんだけど、まあ天文学の定義によれば冬は12月22日からだし、11月ならまだ秋真っ盛り!のはず。多分。。。すでに寒くて3,4時以降は練れないけど。

聖都ブハラ 11000kmくらい

無事沙漠を抜けました。 期待していたようなきつさは当然ありませんでしたが、本ッとうに面白かったです。 砂漠の印象。 寒い 10月初旬の標高300mでこの寒さ。。。この装備でイルケシュタム峠を越えるのは不可能なのでどっかのバーザールで旧ソ連軍の放出品でも買っていきます。 意外と植物多い 風がきつかったけど暑くなかったので、水の補給は楽ちんでした。 こないだ数えたら、ウズベキスタンは17カ国目でした。 そのなかで、1ぽんだけきょうかいせんをひくとしたら、 それは、ぼすぽらすかいきょうとか きりすときょうといすらむきょうとかではなく いらんととるくめにすたんのあいだだとおもいました。 何がどう違うっていうのはうまく説明できるか分かりませんが、一言でいうと、非常に面白いです。 人の顔が違う、東アジアの香りがするっていうのもあるのですが、何というか、比喩とかではなく、空気が全然違うように感じます。 ちょっとだれはじめていたのですが、 [そうだ、俺は冒険者だ!]って叫びたいくらいおもしろいです。 トルクメニスタンの写真を乗せようとしたのですが、このネット屋からはできませんでした。トルクメニスタン人、そんなに自分と似てるようには感じませんでした。 強いて言えばみんな前歯が義歯ってことでしょうか? トルクメニスタン人は20世紀初頭まで遊牧生活をしていたので、財産は身につけて持つらしいです。だからみんな前歯を金歯にしているのかも。 ところで歯の話ですが、7月ごろから患っている虫歯が悪化してきているような。。。?アンカラの薮医者のせいだ! ついでに前歯がカタカタ動くようになってきました。 前歯なしで、グラサン、ちょび髭だと完璧にヤクの売人になってしまう。。。警察に職質を受けまくること必定![お前売人だろ!]っていわれたら、自分でもおもわず[そうかも]とか思ってしまいそう。。。ウズベキスタンの警察は世界一腐敗しているらしいのでそれは避けたいなあ トルクメンのウチャジュというまち(あと130km進まないと村がないという人口100人未満の床)に旅行者ノートが置かれていてびっくりしました。 多分、世界一辺鄙なところにある旅行者ノートではないでしょうか? ひつぜんてきにかきこみの98%は チャリダーでのこり2%はバイカーでしたが。 途中であったひとのかきこみや途中であった人から聞いた人の書き込み

まだマシュハドという街にいます

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本当は昨日出発するはずだったのですが、風邪(インフルエンザ?)にかかってしまっていました。今は平熱に戻って元気です。 昨日は朦朧とする頭でトルクメニスタン領事館に行き、無事にビザは発給されたのですが、滞在期限は10月9日なのであまりゆっくりはしていられません。ついでにウズベキスタンは11月1日までだし降雪前にはイルケシュタム峠(3500m、キルギス中国国境)を越えたいので結構先は詰まっています。 まあでも、沙漠突入前だったので助かりました。 本当は真夏の沙漠で蜃気楼に翻弄されてカラカラに干乾びたりしてみたかったのですが、夏はついに過ぎ去ってしまいました。 写真1,2,3,4は自分をご家庭に招待してくれた方たちです。ラマザーン(断食月)中に計五つのお宅にお邪魔しました。五つとも、ひとつの家庭の中に断食ちゃんとしてる人としてない人がいたのにはびっくりしました。みんな割りとおおらかです。写真4のお宅ではドイツのソーセージをいただきました。豚肉の味がした気がするのですが…? おまけにイランでは2回ほど酒の誘いを受けました。あまりアングラなとこに行きたくなかったので断りましたが。でも写真2のお宅ではウィスキーボンボンをいただきました。違法ではあるけど、割と簡単に酒は手に入るし、みんなあんまり気にしていないようです。 トルコではよく「アメリカのクソッタレ!」という話を聞かされましたが、イランではほとんど聞きません。「アメリカはイランを悪者扱いしているけど、ほかの国の人たちは実際のとこ、イランのことをどう思っているの?」とはよく聞かれますが。若者はアメリカ文化好きなようです。 自分が通ったところだけかもしれませんが、イラン人はファナティックじゃないし、トルコ人よりもずっと抽象的な思考ができているようにおもいます。 日本に出稼ぎに来てたイラン人って言うと偽造テレカというイメージをもたれてる方は多いと思うのですが、自分のであった方たちはまじめに働かれてた人ばかりです。そういう人たちは、日本に本当にいい思いでたくさんあるんだ、とかたってくれます。まだ日本の友達と文通してる人とか、イランに帰るときにもらった寄せ書きを今でも大事に持ち歩いてる人もいました。 よく間違われる人種は中国人、韓国人(無数)、イタリア人(20回くらい)、アフガニスタン人(5回くらい)、トルクメニスタン人(5回くらい

10234km!地球4分の1周突破!

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期間的にも距離としてもちょうど半分といったところです。 うーん、われながらすごい数字だなー。水と食料の補給さえできればどこにでもいけるものだということがわかりました。 過去に書いたことをいくつか訂正させてください。 アルカイダに親近感がわいた と軽率な発言をしてしまいました。気を悪くされた方もいたかもしれません。すみません。 自分が言いたかったのは、えーと。。 旅行中にアルバイア人、セルビア人、アフガニスタン人、クルド人などの国際紛争問題似よく登場する人種によくあったのですが、(当たり前ですが)彼らの多くはごく普通に平穏に生活をしていて、気のいい人たちでした。 ということを言いたかっただけです。すみません。ついでにアフガニスタン人は本当に日本人に似ています。アルカイダの構成員はそもそもアラブ系でアフガニスタンと直接のつながりはないようですね。自分には彼らの是非はわかりません。 どこの食事もうまくない、といいましたが、たまたまトルコ料理に嫌気が差し、酒が見つからずイラついていたのでついそういいましたが、よく思い返してみればおいしいものたくさんありました。 ついでに、酒屋はホテルから30mのとこにありました。相変わらずの節穴っぷり… ポルトガルの白いよくわからないソースのかかったステーキは最高にうまかったし、イタリアとクロアチアのピザとジェラートは何度もくじけそうな気持ちを(この時期ちょっと落ち込んでました)救ってくれたし、トルコの農家でご馳走になったトマトは人生最高のトマトでした。 ついでにイラン料理はトルコ料理に似てるけど、3倍はおいしいです。 写真1はトルコの兵隊です。みんな外が恋しくて仕方ないから旅人に優しいようです。左から2番目の人は後4日で除隊だといって浮かれて大変でした。周りにはあと10か月の人とかがウジャウジャいるのに… 写真2はイランの兵隊です。彼もクルド人です。写真1の方たちも。クルド人とは何度かトラブルもありましたが、本当に気のいい人たちも大勢います。彼も。 写真3,4,5はしばらくお世話になったレストランの方々です。俺を太らせてから食べる気じゃないのか?と疑ってしまうほど歓待されてしまいました。 写真3の左の方には「旦那がいなかったら貴方と結婚したのに!」と言われました。 右の方とはかなりマジに結婚話が持ち上がりました。 自分はいつの日か素敵なお

iran fuman

なぜかいらんのねっとからはしゃしんをのせられません。 いま、ふーまんというまちにいます。ましゅはどまではあと1000kmほどです。 れすとらんにとめてもらってしばらくやすんでいます。つうしんそくどがおそろしくのろいです。

TABRIZ 8500kmくらい

イランにはネットカフェがあまりありません。あっても看板がペルシア語だったりするので自分には見つけるのは難しいです。 だからしばらく連絡できないかもしれませんが、心配しないでください。 イランは一部を除いて、とても安全な国だと思います。 一部というのはパキスタンやアフガニスタンの国境地帯の麻薬密輸ルートになっている場所です。 当初の予定ではもろにそこを通過するつもりだったのですが、中央アジアコースに切り替えたので自分にはまったく関係がありません。 自分が通るのはカスピ海沿岸のリゾート地です。 イランの沙漠を走れないのは残念ですが、沙漠はトルクメニスタンにとっておきます。 イランはとてもよいところです。 3年前の情報と比べるとどこも2-3倍に物価が上がっていますが、それでも今までの国と比べるとずっと安いです。 イラン人はとても優しいので助かっています。 遅ければ次は1500-2000km先のマシュハドという町で連絡します。 道々集めた情報 イランの少年はチャリダーを見つけると挨拶代わりに投石してくるらしい。→ヘルメットを購入しました。 今年の断食月は9月15日かららしい。自分がちょうどマシュハド(シーア派のイラン人にとってはメッカ、メディナ、バグダッドに並ぶ聖地)にいるころです。ちょっと大変そう。。。 アフガニスタン人は日本人にとても似ているらしい。アルカイダにちょっぴり親近感がわきました。 パキスタンではアフガニスタン人はすごい嫌われているらしい。 ヨーロッパから中国西部までで一番人気があり、無難なアジア人ha japanese rasii nazeka totuzen nihongo tukaenakunarimasita. dehamata

食事の話

日本は多分、世界一だと思います。 羊は嫌いではありませんがあきました。 どこの国に行っても、自炊よりうまいものはめったに食えません。 というかなかったかも 最近、マカロニパスタにコショウとニンニクを唸るほど入れるとラーメンそっくりの味と食感になることを発見しました。 ヨーロッパで食べたケバブは旨かったのですが、本場のはずのトルコは正直あまりうまくありませんでした。 イランに入るとアルコールがないのでこの街で飲み納めだ、と思っていたらどの店にも置いていませんでした。 自分はそんなに飲む方ではありませんが、たまには寂しさを酒で紛らわしたい日もあります。 よく、都会での孤独と荒野での孤独の比較の話がありますが、全くだと思います。 街のホテルに止まっている時は体力的には楽なのですが。。。 無人の荒野でのキャンプはとても安心するし、あんなにも満ち足りた気分になるというのに。。。 せめて本が欲しい イスタンブールでてに入れた シカゴ育ち という本はすごい面白いけど、あと何回読み返せばよいのだろう? 流石に飽きてきた カッパドキヤでてに入れた インド三国志 は人にあげちゃったし。。。 タブリーズという街で日本人の多い宿があるらしいのでそこで手に入ることを祈るしかありません イスタンブールで買い込んでくるべきでした。 あの時はここまでになるとは思っていなかったので。。。 まあ、とにかくさらにあと1月半は酒飲めません。 あーあ、エルズルムで飲んどきャ良かったなぁ
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明後日イランに入国します。初め8時間あった時差も4時間半になります。 ヨーロッパで落ち込んでいた時などは日本に帰りたくて仕方なくてイスタンブールで切り上げちゃおうかとか考えていたのですが、ゴールが現実味を増してくるにつれて(といってもまだ半分もきていませんが)、帰りたいのか帰りたくないのかよく分からなくなってきました。 トルコではいろんな人たちからいろんなものを毎日何かしらいただきました。 そういう人たちに紛れてぼってくる人も結構いましたが。トルコには凶暴な犬が多くて大変でしたが、イスタンブールでチャリダーにもらった木刀のおかげでTVゲームでモンスターと戦ってるみたいでエキサイティングでかえって面白かったです。 大型犬4頭を相手取っての大立ち回り(大袈裟)をビデオにとっておきたかった位です。 写真はフランスでデートした韓国薬剤師のお姉さん(25歳、独身、ちょっとリッチ)、 弟を机がわりにするカッパドキヤの少女 エルズルムの女の子(この娘にすっごいモテテモテテ大変でした。アイスくれた) 自分のテントを訪ねてきた羊飼い一家です。 プリシッラと写ってる写真をのせようとしたのですが、自分の表情がちょっとキモ過ぎて自粛しました。

国境まで35km

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写真を載せようと奮戦すること実に3時間!! メカ音痴の自分にしては上出来かな?

Erzurum 7900km

Im still in Turky. Turky is too big. there are so many many hills. Spain chuou kougen no hi janai!! and Road condition and drivers manner are so bad. my knee has pain again. demo tanoshii kuni desu turky mo ato 300km deowaridesu

Kappadokya 7200km

今日、カッパドキア周辺をみました。 地下都市もすごかったけど、ウチヒサールというとこの眺めは本当にすごくて、びっくりしました。たぶん人生最高の眺めだったと思います。 今朝、ようやく下痢が治ってきました。固体が漏れてしまっても動じない心を手に入れました。 一昨日、マヤトラベル(自分がお世話になっている旅行会社。航空券すごい安かったし、親身になっていろいろ手伝ってくれる最高なところでした。京大正門から30mくらい)にいただいた味噌汁飲みました。なけそうなほど旨かった… いままで、自分が日本人だとあまり思っていませんでしたが、海外に出てみて、日本人だったんだなあと実感するようになって来ました。 日本という国に愛着も持っていなかったのですが、すばらしい国だと思います。どのくにもすばらしいとおもうけど。 べつにホームシックにかかったり、海外がつまらないとかいうわけではありませんが。 とくにメードインジャパンの製品はほんとにすごい

まだアンカラにいます

今日、ちゃり乗りに聞いたでかいチャリ屋にいきました。 40EUROのホイールを買いました。15EUROのサドルを買いました。 ついに自分のけつに合うサドルを見つけました。7000km弱で7つ目のサドルです。長かった。。。サドル探すための旅なんじゃないかってくらいでした。 下痢がひどくてまともに食えていないけど、大きな問題が一挙に二つも片付いたので気分はよいです。 チャリのパーツ代が3万円を大きく越えました。チャリ旅行って意外と金がかかるようです。 ヨーロッパを横断できたら、自分が大きく変化できるんじゃないかと思っていましたが、どうもあまり変わりはないようです。 強いて変化を挙げると、 スポークとチェーンの交換と振れとりが出来るようになりました。 とりあえず、どんな時でも自棄にならなければ道は開けるんだということがわかりました。 素直に感謝できるようになりました。笑いかけてくれる人とか、自然とかに。気分が良い時には自分の過去に感謝できるような日もあります。 あすはカッパドキアに向けて発ちます。

Ankara 6700km kuraı

in Ankara, there is no PC that can read japanese. my wheel was 8 noji. so yesterday İ went to 10-20 bicycle shops. but there is only chacina wheels. they said that İ must go İstanbul!! İ cannot so they repaired my wheel by hummer. today İ went to haisha. the dentist is cute, but cannot speak English! taihenna meni atta. but many people give me foods and chay! İt gives me power

mou chottode Ankara

today, I cant read and write japanese. Turky is very interesting. People are so nice. but there are so many hills that I feel unzari! yesterday, I slipped so wheel was broken, and sadle was stolen. ato maeba ga kaketa. chotto tsuitenakatta

今日、ようやくウズベキスタンビザが取れました。

イスタンブールともお別れの時が来たようです。 この2週間、これでもかというくらいだらけ切りました。 脳味噌が溶けて耳から漏れちゃうんじゃないかというくらいでした。 でも、よく考えてみると京都にいるときってだいたいそんな感じだったかも。。。 再出発できるのか不安になっていましたが、ようやく気分が高まってきました。 次の目的地はカッパドキアです。 宿で知り合ったちゃりだーとしばらく一緒に走ります。 彼はイギリスからスタートし、この後イランパキスタン、中国、もしくはインドというコースらしい。 古代の方々が岩に掘った穴蔵でキャンプしてみたいなぁ 今晩が多分、ヨーロッパ最後の夜ということになります。 明日からついにアジアだー

訂正

間違えました。中国ビザはキルギスではなくウズベキスタンのタシケントという街で取るつもりです。 パキスタンのカラコルムハイウェイを通るのを目標というか、山場の一つに数えていたので、かなり迷いましたが、イラン国境のあたりから続く部族自治区が危険だという話もあり、ちょっとごたついてるようなので、こういう形になりました。 でも中央アジアの国も面白そうなので、これはこれでいいかな、と思っています。

yoteihenkou

トミーさん、おめでとうございます! 今後の予定ですが、大幅に変更しました。ルートはイラン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、(タジキスタン)、キルギス、中国 としました。 イランビザは速攻で下りるらしいですが、ウズベキスタンビザに1週間かかるのでそれまではイスタンブールです。 テヘランでトルクメニスタンビザを取ります。が、5日分しかくれないらしいので、5日でトルクメンの砂漠地帯500kmを駆け抜ける必要があります。 キルギスで中国ビザを取直すつもりなのですが、問題は、本当にキルギスで中国ビザが取れるのか、取れたとして何日分取れるのかがやや不確定だということです。 24000kmのちゃり乗り(心さんといいます)にいろいろ教わっています。自分の装備は大分足りてないようです。しかし自転車専用工具を買いそろえると、すごい重量になるのでどうしようか日々悩んでいます。 最近は時計の電池が切れてしまったため、自分が何時に起きて、何時に寝ているのか分からないという生活を3日ほど続けていました。周りの人の話では、毎日10時間以上寝ていたらしいです。文庫本と漫画を読んでいるか寝ているか、食っているかという感じでした。人間ここまでだらけられるのかとちょっと驚きつつよい気分でした。すみません、"驚いた"は嘘です。そういえば日本でも概ねそんなんでした。

Istanbul 6080km

イスタンブールに多分1週間は滞在します。 夢にまで見たイスタンブール。。。 ついに到着 よいまちです でも疲れているので観光はもう少しあとにします。 初めて日本人宿というものに泊まりました。 普段大して本読まないくせに何故か活字中毒になってしまったので非常に助かりました。 シカゴ育ちという本を借りて読んでいます。 面白い ぶつぶつは治りました。お騒がせ致しました。ほんと、ごめんなさい 活字中毒のあまり 旅のドクター という本を熟読し、これは重病かもしれない、と勘違いしてしまいました。 宿で、韓国からスタートして1年7カ月かけて24000km走ってきたちゃり乗りに出会いました。 スポンサーが何社かついてるみたいです。 いろいろ教えてもらい、いくつかの重大な問題が解決し、いくつかの重大な問題が発覚しました。 その方に手伝ってもらい、スロベニアで曲げてしまったスポークを交換し、予備のスポークもてに入れました。 パンクと摩耗に強いというマラソン というタイヤと、修復不能になったチューブの替え、予備のチェーンも。 ポルトガルからすでに狂っていたシフトも直してもらいました。9月20日までにイラン、パキスタンを通り、中国につくのは物理的に不可能です。 中央アジアを通っていったらもしかしたら間に合うかもしれないけど、いずれにしても難しい。 イスラマバードは昨日銃撃戦があったらしいのでよけていったほうがいいかも。 中国はとても安全らしい。とくにシンちゃんのウイグル人は日本人好きらしい。 反日感情は確かにあるけど、それが個人に向くことは目って似ないらしい。 イランビザを昨日申請に行くべきだったのですが、疲れてていけなかったので、イスタンブール滞在は長引きそうです。 けつの皮が張り裂けてしまったのでどのみちしばらくはちゃりこげませんが。

tomorrow, İ'll be in İstanbul maybe

Yokei na koto kaite sumimasen desita.... tasikani, umi ikimasita. sonosei kamo... mukai kazega 2shukan kurai tuduitari, tire sagashide honsou sitaride choto fuantei ni nattete, nande oreha chari koiderun dakke? toiu gimonga atamakara hanarenakunattete... takaga mukaikaze to butsubutsu gotokide, warenagara akirekaeru kurai yawana seishin kouzou danaa.... Torukojin are very kind! kotobamo tuujinai noni, 'Hotel?' tte kiitara, 2km kurai hanareta toko made annaisite kureta. Malkara toiu machi deha ieni yobarete dinner gotisou ni nattari, drive ni tsuretekaretari simasita. Toruko deha yatara ogottemorattemasu demo İstanbul deha suiminyakugoutou ga hayatteru rasi kara mou ogotte moraenai naa zannen Torukoha bukka yasuito omottetara, nihonto onaji kurai datta. maa, Europe no kitigai jimita noto kurabereba daıbu yasuikedo

Thessaloniki, Greece 5401km

At last, I got new tire!! cho- taihen datta. MTB 500dai tenji siteru shop nimo nazeka tire nai. imiga wakaranai. isso new bicycle kaoukato omotta. tire ha shindato omottekaraga shibutoi kotoga wakarimasihita. damedakorya, to omottekara 800km ijou susumemasita. Albania de, "I'm not Italy, I'm japanese." tte ittara, "Hou, Germany ka, douride Italy toha sukosi tigauto omottayo, Danke shun! Gahaha" to iwareta. jibunmo, French to Italy kubetsu dekinai. kekkou sonnamon nanokamo siremasen. My guide book say "many Greece can speak English." but in the fact, Thessaloniki ni tsukumade, hitorimo English speaker ni deawanakatta. this guide book is ateninaranai. Once, I drink kinkin ni hieta can-juice, it's not easy to go back suidousui seikatsu. shokuhiga taihenna kotoni natte kita. jitensha koideru tokinohouga, Hotel de gudaguda siteru toki yori seishinteki niha antei shiteiru. atukurusiku, usugurai hotel de nekkorogatteruto, nakidashisouni nattekimasu. a

Makedonia, Ohrid 5120km

minasan, coment arigatou gozaimasu! todays PC can read but cannot write japanese. Albania was saikouni interesting. I didnt know anything about Albania. I knew only Kosovo mondai about Albanian. Albanian are sugoi kind people. hasitteruto, shocchu yobitomerarete, nanika kureru. Albanian police ha corrupt dokoroka, nazeka bokuni keirei sitekuretari, mizu kuretari, miti osietekuremasita. I didnt know that Albanian dont like Greece. So I did many siturei na koto. Many Albanian nazeka thought that I am Italy! jibun no kao tte Italajin ppokattakke?? In Montenegro, Albania and Makedonia, Jacky Chen ha arienai kuraino ninki desu. If there was no Jacky Chen, Asian no hyouka ha motto zutto hikui to omoimasu. Jacky chen no hyouka ha futouni hikui. minna motto jacky ni kansha subeki desu. Asia zentai kara kanshajou wo okurubeki dato omoimasu. In Albania, many kids said "jacky chen! karate! judo!" (minna iroiro kubetu dekitenai) So I show karate no ENBU. nanka oouke desita Albania ha It

久しぶりに日本語打てるパソコンだ!

なんとなく今までをまとめてみます。 2ヶ月で4620kmくらい走りました。 平均すると一日75kmくらいかな、多いような少ないような 自分が見た範囲でいろいろランキング。 英語の通用度 クロアチアはダントツで通じます。自分の持ってるYHのガイドブックには、英語ぜんぜん通じない、ドイツ語なら通じる、と書いてあるのですが、これで英語通じないっていってたら英語通じる国なんてイギリスとアメリカくらいしかないんじゃないかと思います。この本の要求レベルは高すぎる。クロアチア人の英語よりもドイツ語はなせる日本人ってたぶん300人くらいしかいないと思う。 次はフランス、イタリア、スペイン東部、タイ、カンボジア、スペイン西部、ポルトガル という感じです。アンドラ、モナコ、スロベニア、ボスニアヘルツェゴビナはサンプル数が少なすぎてなんともいえません。 スペイン西部にいたころは、どうなることやら と思っていたけど、その後どんどん英語が通じるようになってきて安心してます。 住人の優しさ どこいってもみんな優しいのであえて言えばですが、 フランス、ポルトガル、クロアチア、スペイン、イタリア  ってかんじでした。 いままで、特に理由もなくフランスには良いイメージを持っていなくて、自分に最も似合わない国だろうと思っていたのですが、みんな超優しいし、英語すごく通じたのでとても評価が上がりました。 イタリアはもう雨という印象しかありません。ヴェネチアは良いところだけど、貧乏人はくんなって感じだし、一人で行くところではありませんでした。 モナコは、こんなにつまんない国があるのかとびっくりするくらいつまらない国でした。 ポルトガルとスペインはすごい面白かったのに十分には見れなかったので将来また来ても楽しめそうです。 そんなわけで 第1章完 です。 昨夜はマリオ爺さんに60ユーロくらいおごってもらいました。 とても満足 ではまた

now Im in Dubrovnik!

Croatian coast is so nice! that I almast dropped out from road three times! Europian ga-dore-ru is too low for me. I have stayed in Italy 12 days. There is only one no rain day! KUSOTTAREGA! nidoto Italy niha ikanai to omoimasu. the Italian rain made my mind, wear, body, bags, and brain GCHAGCHA. so I have lost tent, sun glass and watch! The watch was my goukakuiwai. and that has compas, ondokei and koudokei. Oh no! but 15, 16 and 17th its sunny! today I ran with Mario who are from maruta, 61 years old. He said Kosovo is no plobrem for japanese and Albania has many corrupt police. so chotto mayotteru. to go kosovo, or to go albania, that is plobrem

Next, I'll go to Venezia!!

Venezia is the most ikitakatta toko in west europe. After venezia, I'll stop at Torieste, maybe. demo tomaranaikamo. tonikaku dai1shou no crimax desu.

I'm now in Lucca. 3300km kurai

minasan arigatou gozaimasita! LIVE ha doudesitaka? kaettara zehi shousai ni kikasetekudasai I decide to go to east europa ko-su I'll visit Slovenia Kloatia Montenegro Albania Makedonia Greece I want to see Dvrovnik but looking the world map with kumorinakimanako, Turky Iran Pakistan are BAKADEKEe Imust to enter to China 9/20. so chotto asetteru. demo today I'm tired so must to take rest Dai 1 Shou WEST EUROPA HEN mo owariga mietekimasita tomorrow I'll be Firenze, maybe.
nanka kaitano okurenakatta jikan nai shuppatu simasu

Im now in NICE

Today I ran 182km tsukaretenanimo kangaerarenai asumo kono YH ni tomarimasu

Im now in Arles YH 2583.2km

today I saw flamingo nanka oyasirazu heiki ppoi souieba my father has 32 teeth included 4oyasirazu. and he said no problem nanka koredato zasetusite kikoku surutokino iiwakeno maefuri mitaide kakkowaruinaa taro no wasureteta wakejanain datteba!! this YH takes me 1euro to use 15minutes internet!! ii shoubai siteruyo!!
11,90ユーロする、カッスーレという地元料理を食べました。うまかったです。 ルートの話ですが、フランスからイタリアに入るとき、アルプスを越えようと思っていたのですが、どうも2000m台では練習にならないようです。 3000mだいの峠に行こうとすると結構遠回りになりそうなので海岸沿いにイタリアに行くかも知れません。 その後の話はだいぶ後になりますが、 1東ヨーロッパを通っていく 2ナポリ、フィレンツェ、ローマとイタリアを下って船でギリシャ 3クロアチア野海岸を通り、船でイタリアニ行きまた船でギリシャ バルセロナで出会った同じチャリに乗ってアテネからきた奈良出身の好青年が通ったルートです。彼はポルトガルまでついた後、さらに北欧もまわるらしいです。 のどれかになると思います。 彼の話によれば、ギリシャとトルコは放し飼いの犬がとても多いらしいです。やだなあ 1に関して、良いルートなど何か知っているかたいたら、もしくはほかのルートでも、ご教授いただけると助かります 地図を無くしてしまったので考えづらい。。。 買わないとなあ 蛇足ですが、デートの相手はプリシッラさんといいます。 中寮14号の人たちに 悔しいだろザマーミロ と伝えてください 明日出発です。

今日はブラジル人の美人女医と二人きりで夜のデートをしました

いいたいことの9割はもう言いました 今日のパソコンヨーロッパに来て初めての日本語使えるパソコンです 長かったスペインもおわり、短かったアンドラを越え、四カ国目のフランスのカルカッソンヌにいます 2200km位こぎました ピレネー山脈2408mを越えました 日本の山と違って坂が緩いので以外と楽勝でした かすかな頭痛があるようなないような、といいう感じでした こんなに簡単ではカラコルムハイウェイの練習にならない。。。 とぅークリップは危険なのではずしました そしたら膝痛が大ぶらくになりました けつはあいかわらず痛いですが 恐れていた事態が発生しました にょきにょきと順調に成長を続けていた親不知がついに周りの歯茎をきづつけはじめました うーん 歯医者帰国はさけたいなあ 外国の歯医者はこわいし 今はまだ歯医者に行く必要があるほどじゃないけど。。。 このYHに2泊します これからのコースは ミディ運河を下って コートダジュール をすす

tomorrow I'll depart barcelona to Andorra

shoushou nagai sisugimasita nanka darukute, 1nitino 3bun no 2 kurai bed no ueniita kiga simasu korega iwayuru chinbotsu toiu yatsu nanokanaa tadano hirouno tikuseki to hinketsu datta kimosurushi yokuwakarimasen I spent about 200 euro at barcelona! tsukaisugi... kowareta mono list ni nosewasutamono gurasan---- arm ga oreta. muriyari tsukatteru sadoru---- kaikaeta 15euro. tuideni ketsu ga itakutesikataganai node, sinsikino cycle pants(36euro) wo katta tabun hokanimo iroiro nakusiterukigasuru In this morning, I thought "konomamaja ikenai... kedo ugokuki okoranai...dousiyo" "konsutantino-puru no kanraku" to "Suna no umi" wo yondetara yaruki detekita yahari, Europa moiikedo Asia koso jibun no yukubeki basho na kigasuru. sorenisitemo mottekuru books wo mousukosi kangaerebayokatta toruko to silk road kankei no hon sika nai. europa no honmo mottekurubeki datta dokka de nihongono hon tenihairanai kanaa

Barcelona, toiuka yado shuhen

Rumblas douri toiu iwayuru menukidori mitai na toko no tikaku no YH ni tomatteimasu At first I felt that nanka suge-chian warusou dasi, hito ohsugirusi ikesukanai tokoro dana. But narete miruto, nakanaka omosiroi tokoro noyouna kiga sitekite, kekkou kiniirimasita demo kono YH 1paku 19.75euro mosuru kara, enpaku wo mousikomu tabini taikin gadeteiku omakeni kitchen shiyou dekiru tte homepage ni kaitearunoni, jissainiha reizouko to densirenji dakesika tukaenai. ima 6nin beya ni tomatteirundakedo, zennin kokuseki tigakute bikkurisita. kaigairyokou siteruto atarimae nanokana? imamadeni nakusita(kowasita) mono list pump daifukin(taro ni moratta yatu)---- 1mai mada1mai arukara nantokanatterukedo tizu!---- valencia no dokkade nakusita. cho- komatteru. kotti de katta tizu, anma yokunaisi, I must buy every country's map! haburasi---- I bought new one. It cost me 5euro! gunte---- I bought new one. it cost me 3euro. and I have lost it again! pantsu---- It was stolen by winds. hangou no futa---

imamadeno kantan na matome toka

mazu hajimeni minasan ni ayamaranebanaranai kotoga arimasu Today I realized how to read coments of this blog! So I had never read your coments! Im sorry.... arasuji no tuduki 4/25 portugal to spain no kokkyou tikaku no ti-sana PERAIS toiu mati de yubinkyoku wo sagasiteitara, ojiisan ni hanasikakerare, sono hi no mura wo agete no party ni shoutai sarerukotoni narimasita mura wo agete toittemo jinkoku 200nin kurai dakedo butano maruyaki toka wine toka sugoi gotisou ni natta kedo English shabereru hito ha zenbude 5nin kurai de taihenn kurousita Ricard toiu "bad boy" to tomodati ni natta kedo, murano rouijn tati ga sonna yatutoitara nekubi kakarete korosareruzo! to chuukoku ni kitari site taihen datta ato no hibi ha tanchou na chari koide, tent hatte jisui site, nete, asa noguso site, jisui site, chari kogu, toiu mainiti desita. nonaka ha tadasikatta at first, I thought that my ru-to is Madrid- Zaragoza-Andra but, chuou kougen titai has rain everyday! and I wanted to see tichukai

Im now in Barcelona

I have to take rest for attack to the pirenee the pain on my left knee ga osamarumade yasumimasu honto ha Valencia ka Tarragona de yasumu tumori datta kedo umaku yado mitukerarenakattakara Madrid kara non-stop de kitesimatta totemo tukareta

Im now in Toledo, near Madrid

Portugal wo nukete Spain ni hairimasita imamade no arasuji 18niti 10.27km hikouki de 2330 Lisbon chaku. I was tired and 45jikan okiteita so airport de netara taichoukuzusu. yu-suhostel ni denwa sitara nanji ni nattemo no probrem tte iwaretanode yu-su ni itta pump ga kowaretete totemo kurousita. 19niti 19.72km went to Oeiras chariya mitukaranai 20niti 1.74km ame dakara 1tiniti nondakurete neteta. jisui sitara europa no bukka ha nihon yori yasuikotowo hakken 21niti 102.42km went to Sintra and Cabo Da Roca(the westest point of yu-rasia. maybe. ) europa no inaka miti ha saikoudesita. 22niti 76.18km Lisbon ni motto irutumori dattakedo karadagauzuuzu site gaman dekinakute shuppatu me-ru siyou tositara pasokon kowaretete dekinakatta koreikou net dekiru kankyou niha deaemasendesita sumimasen konohino yoru kara kinou(4gatu 30 niti) made atohazenbu camp seikatudesita. 23niti 84.50km hajimete datta kara kowakute zenzen nerenakatta pump wo tui ni kounyuu simasita 24niti 78.03km hitasura maigo tent
im now in YH of oeilas near from lisboa. my bicycles tires are chousiwarui. but im genki. bukka is so expensive for me that i drink toilet no suidousui. Tailand and Canbozia no houga english hanaseru people ooi.

支度がなかなか終わりません。

きたる2007年4月18日仏滅にユーラシア横断(出来たらいいな)チャリ旅行へと出発します。 そもそもの旅行計画はマカオ→シンガポールでした。 その後、アメリカ横断、地中海一周、上海→ローマと旅行計画は変遷を続け、 現在の計画はリスボン→上海というものになっています。 我ながらテキトウなものですね。 この旅行のためにブログというものを作ってみました。 なにぶん初めてなので勝手がわかりません。 敬語調で書き始めましたが、たぶん途中で投げやりになって敬語とタメ口の混じった妙な文章になることでしょう。 あまり頻繁には更新できないと思うので、これを読んでくれている方もたまに覗く程度で十分かもしれません。